身を削るということ

coyanmahexp2006-10-21

今一番したい事はなんですか?多分暴走だろうな。勿論、観念的な方の。
来週は時間が予想以上に空いてしまったので、一人で色々機材をスタジオに持ち込んでレコーディングに勤しもうと思います。2月に70年代に製造されたコンデンサマイク貰って以来未使用のまま。もったいない。そのマイクとダイナミックマイクをミックスして、しかもレコーディングに初Macを導入してみようかと。まあ最初から上手くいく訳はないけども、やらなければどうしようもないからね。その為のプランを練らなければ。単に「慣れ不慣れ」よりもセンスが重要視される仕事だな。自分でカネを出さずにレコーディング出来る人はいいよな。「いいよな」ってのはやっかみなんかじゃなく、むしろ尊敬の念だ。最近そういう「カネの流れ」というものを考える機会が多くて「払う側」と「貰う側」の立場というものを真剣に考えているのです。例えばコンビニのバイトにしたってトラックの運転手にしたって、払う側が技術なり人間性なりを信用した上で雇用契約が成り立つのであって、これは遊びではないからな。ましてや音楽制作なんて、果たして実態があるのかないのか、分からんモノにカネを払う訳だから、余程の信頼がないと所謂「雇用契約」は成り立たない。雇用主、若しくはスポンサー側は我々を用途に応じて様々なふるいにかける。目的に応じて「カネを出させる」側の我々もその要求に答えなければならない。すみません、上手い事書き記す事が出来ませんが、兎に角「カネを誰かが出してくれれば」問題は解決するのです、簡単に言えばね。ただこんなオレのプレイごときにカネを出せる人間は、余程ボランティア精神溢れるクレイジーな「危ない」人種なのだろう。カネを出させる為には「実力」しかないのだと、痛感せざるを得ず、その為にアタマの痛い日々が続く訳です。まともな人間ならば誰でも考える当たり前の事です。勿論音楽に限った事では無い。親が子供の為にカネを出すのは当たり前か?勿論それは「親」の立場に立って言い放っている訳ではない。その為に進学を断念したヤツらを何人か知っている。若しくは苦学の末学生生活を全うしたヤツらも何人か知っている。面接での心象を良くする事こそが「信頼」への第一歩なのか?確かにそれも社会生活を営んでいく上では一理あるだろうが、兎に角「カネを出させる事」がどれだけ大変かということを最近しみじみと感ずる訳なのです。そして「カネを払う側のバイタリティと決断力」にも見習う点、学ぶ点を見出そうと思うのです。肉親であれ他人であれ、「誰かにカネを出させている状況」に甘んじていてはいけない。そしてカネを誰かに出させたいのならば、自分に対しても他人にたいしても鬼の様な気持ちで臨まねばならない。
ってゆうかそんなことよりも来週はレコーディングを独力で敢行せねばならんのです。カネの事なんかあとあと