僕の音楽事件簿〜幼少期

coyanmahexp2006-06-09

 売れない民謡歌手の父と「私には向上心はない」と公言して憚らない母を持つ僕は特に何も強要される事無く幼少期を過ごす。4歳頃まで那覇首里に住んでいたが、その頃父は仲間数人と近所の空き家を借り、週に何度か集まっては歌に博打に興じていた。僕も時々父に着いて行った。しかし大人達が歌っている間は暇で仕方が無い。だからある時、普段は使ってない部屋へ襖を開け入ってみると、古びた白黒の遺影の中に見ず知らずの老婆が写っている。その頃は自分の祖母は2人とも現在だったので遺影の老婆はアカの他人だと分かる。しかし幼少の僕にはその真っ暗な部屋の遺影が少し不気味で、もう二度とその部屋には立ち入らなかった。
 首里から西原へ転居後はそのまま自宅が寄り合いの場になる。その頃から何故かELKのギターアンプやらマンドリンやらレコードプレイヤー等の機材がウチにはあった。そして当時まだ10代であった叔父やいとこからフィンガー5や、「あのねのね」や、ジュリーのレコードを借りパクしては聴きまくるのである。あとサタデーナイトフィーバーのサントラもリアルタイムで聴いていたな。当時オレ7歳。
 初めて親にねだって買ってもらったレコード「勝手にシンドバッド」」
その他ウチにあったレコード
ピンクレディーペッパー警部
杉田二郎「息子」
ジュリー「追憶」「サムライ」
世良公則&ツイスト「あんたのバラード」等